施主/下牧町内会長 中村和彦
ここ下牧でカールベンクスさんのご協力により完成した古民家は今回で3回目の建替えを経験している材料が使われています。最初は地区の庄屋様の家の材料でした。庄屋様が家を建て替えることとなり材料を譲り受け、おそらく100年ほど前に現在の場所に新たな家主の元建替えられました。そして今回再び、カールさんの協力を得て生まれ変わったのです。おそらく200年程立った材料が使われている事になります。
近年の住宅は1世代30~40年で建替えられてしまうものが多いですが、今回建替えた家はドイツ製の木製サッシ、床暖房も備えてあり、手入れをしていけば、この先また100年200年と人々が住み続けられるものとして仕上がっています。
ここ下牧集落は私が生まれた50年前には約20軒ありましたが、現在は実質4軒しか人が生活していません。60歳以下の人が生活しているのは我が家だけとなってしまいました。人材不足もあり、私がすでに6年も町内会長を務めている状況です。多いときは雪が2メートル積もることもあり、除雪事情の悪かった昔を経験してきた方々は平場に家を作って降りてしまいました。
完全な山の中の田舎暮らしを想像されるかもしれませんが、実は周辺の環境にも恵まれています。大型スーパーや高速道路のあるIC、特急の止まる駅、日本海まで車で15分。家の前からは日本海、頚城平野、妙高山系の絶景が見渡せるところに位置しています。キューピットバレイスキー場まで45分です。現在は除雪体制もよくなり、雪で出かけられないことはありません。
すぐ隣の集落「水野」には個性的なメンバーがたくさん農業を営んでいます。蕎麦や餅作り、岩魚の養殖などもやっています。
米山山麓の豊かな自然の中で新しい集落を一緒に作っていきませんか。生活に関することは私が責任をもってサポートさせていただきます。ぜひ一度来てみてください。お会いできる日を楽しみにしております。
学校は近くにありますか?
小学校は約7キロ下った下黒川小学校。中学校は約10キロ下った柿崎中学校。いずれもスクールバスが、家の下まで送迎してくれますので、街中から通うより安全です。
病院は近くにありますか?
約3キロ下った芋島という地区にある黒川診療所が一番便利です。10キロ下った街中には柿崎総合病院もあります。
スーパーやコンビニは?
3キロ下った米山寺地区にマルカと言う萬屋さんがあります。ここで大抵のものは揃います。ここのお刺身は絶品です。
10キロ下った街中にはコンビニも大きなスーパーもあります。
携帯電話は繋がりますか?
ソフトバンク系は繋がりません。ドコモやau系はバッチリです。
公共交通は?
バスは1日3便しかありません。車がないと生活には不便です。冬は雪もあるので、4WD車がいいかと思います。
ネット環境は?
光ファイバー網が整備されており、利用者も少ないので回線速度は早いと思います。
雪はたくさん積もりますか?除雪は大変ですか?
多い時は2メートル積もることもありますが、2020年は一度も除雪をしませんでした。近所がないので屋根の雪止めが不要ですから、屋根の雪下ろしは不要。除雪機1台あれば屋根下と家の前に積もった雪飛ばすだけ。意外と除雪も楽しいですよ。
自分で作る野菜を作る土地を借りれますか?
土地はいくらでもあります。畑の貸付は格安で可能です。
その他困ったことがありましたら私がサポートしますのでご安心ください!
私たちと一緒に自然豊かで住みやすい集落を
創っていきましょう。
カールベンクスハウスについての新聞記事です。ぜひご覧ください。
新潟日報 2019年6月7日号
もう打つ手なし 最後の手段
古民家再生52年ぶり新築
辺りにはまだ雪が積もっていた。上越市柿崎区(黒川・黒岩地区)の霊峰米山の麓で2月中旬、住宅の建前が行われた。6世帯しかない下牧集落で、住宅が建てられるのは52年ぶりのことだ。
竹林を背にした敷地には築130年とされる古民家が立っていた。 15年ほど前から空き家になっていた古民家を昨年解体し、その使い込まれた建材を新たな住宅で再利用する。
コン、コン、コンー。 つち音が響く。真っ黒にすすけた柱や梁が、クレーン車で運ばれる。コンクリートの基礎の上に、次々と組み上がっていく。やがて、急勾配な三 角屋根が姿を現した。春が訪れ、鮮やかな桜色の外壁が張られた。日本建築の趣ある古民家をベースにしながら、モダンな雰囲気が漂う。この空き家の再生を手がけてい るのは、十日町市の松代地域など で実績のあるドイツ人建築デザイ ナー、カール・ベンクスだった。
十日町市の建築デザイナー、カール・ベンクスに空き家の再生を依頼した施主は、地元柿崎区下牧の専業農家中村和彦(51)だった。
中村自身が住むための家ではない。誰が住むのかすら決まってはいない。「集落に移住者を呼び込みたい」その一心で、中村は自己資金を投入した。
ベンクスは十日町市松代地域の竹所集落で、これまでに8軒の古民家を再生させた。一時は8世帯17人まで減少した集落だったが、古民家再生が移住を促し、15世帯34人にまで増えた。
2年ほど前、中村はたまたま、古民家再生で息を吹き返した竹所を特集したテレビ番組を見た。
「下牧も何か取り組まないといけない状況だった。ベンクスさんは話題性もある。ああこれはいいなと」
早速、竹所を視察に行き、ベンクスに相談し、現地にも来てもらった。
「空き家のうち2軒は再生できる。ここなら大丈夫。買う人はいる」と背中を押され、建築計画は動き出した。
妻の咲予(50)は賛成しかねたが、意志の固さを知り「勝手にやって」とさじを投げた。中村は「もう打つ手なしの集落で、最後の手段」と腹をくくっていた。
下牧集落は現在6世帯。母親と妻子と4人暮らしの中村家以外は、いずれも独居の高齢世帯だ。通い農家もいなくなり、集落の農地を耕作するのは中村1人だけ。農道や用水の草刈りといった集落の普請も、この舂から咲予と2人で全てやることになった
「しょうがないですよね。田んぼやってるのうちだけなんだから」。淡々とした口ぶりだが、腹の底には不安がある。「何年かすれば、集落はうちだけになってしまう」これまでにも、移住を促す取り組みはしてきた。
集落の旧保育園を市などの補助金を使って改修した「いなか体験ハウス」は、とにかく地域を見てもらうことが大切と、お試し移住ができる施設にしている。
スペイン出身のガルシア・バランコ・エミリオ(38)ら、地域おこし協力隊を受け入れるサポートもしている。来年度は周辺3集落で新たに人材を受け入れようと、今も準備を進めているところだ。
「全国には田舎で農業をやりたい人は山ほどいるはず。うまくマッチングできるかどうかだ」と中村は言う。古民家再生も取り組みの延長にある。空き家はあっても、移住者が住める家はほとんどないためだ。
建築は着々と進んでいくが、「最初はあまりこだわり過ぎないようにしたい」と言うように、家の買い主には定住だけを求めてはいない。東京に拠点を持ちながら集落でも暮らすスタイルでもいいと思っている。「まずは1軒買ってもらって、その資金を次の古民家再生につなげたい」と先を見据える。
移住者を迎えて人口増加が図れたら理想的だ。しかし、現地には居住していない人が中核となり、しっかりと営みをつないでいるムラもある。下牧の隣の水野は、そんな集落の一つだ。
この家は約100年前に建てられたのですが、その材料は地域の庄屋さんが以前住んでいた家。
それを譲り受けて作った家です。
なのでこれが3回目の解体・組み上げ作業。材料自体200年は経っているものと思われます。
カールベンクスさんと大工さんの技術で、この先100年200年と生き続けていく家へと変身です。
約100年前に建てられた改装前の古民家の外観。以前は茅葺き屋根でしたが、茅入手が困難になって屋根にはトタンが葺かれています。
傾き腐れや重みで沈んだ柱を持ち上げ、胴差しや桁を水平にし、番付を打ち採寸し、設計図に落としていきます。釘は一切使わない、ホゾだけで組み上げた骨組み。クレーンで吊りながら、梁や柱を一本づつ解体。
この先100年200年と家が生きていくために、通常より高めの基礎を打ちました。以前は石の上に乗っていただけの家が、新しい基礎の上に土台と柱がしっかり固定できます。ベタ基礎なので、頑丈で湿気から家を守ってくれます
約200年経った豪雪地帯の太い欅の柱は、傷んだ部分を切り落とし、継ぎ足してやる。古代と現代の融合。
積雪がある冬、洗って磨きなおした古材を一本一本組み上げ作業。曲がった古材は設計図通りには行かず、一本一本現場合わせで削りながら新しい材料との組み上げ。上棟だけで通常の5倍近い時間がかかってしまいました。
特徴的な急勾配の屋根(10メートル)と高い三角屋根のてっぺんからの景色は最高。ですが作業はかなりの恐怖を感じるほどの勾配でした。
新しい素材(地元新潟県産木材)を使った柱や床には、カールベンクスさんが自然素材で調合した塗料(企業秘密)を2度3度と上塗り。落ち着いた色合いを醸し出しています。
外壁には耐震パネルを使い、断熱も万全。骨組みをあえてむき出しにして、基礎の上約1メートルは杉下見板で引き締まります。室内側は珪藻土を壁と天井に使用していますから、調湿効果・消臭効果・耐火性に優れた贅沢さ。
ようやくドイツから船に乗ってやって来た窓が届き、自然に生えるサーモンピンクの外壁を塗装して完成。
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